エッセイ(1)

ブログで自分自身のことを書いて行こうと思います。
幼少の頃から、多分、二十代前半ぐらいまで。
記憶力の悪い方なので、どれだけ思い出せるかわかりません。
連載がどうなるか、自分でも全く予想できません。
他人の話なんて面白いとは思えませんが、よろしければおつき合い下さい。
尚、人名や団体名等は一部仮名にさせていただきます。

まずは、出生から。
昭和45(1970)年、神奈川県で生まれました。
出生地は、連続点滴中毒死事件で有名になった病院です。
母は明子、父は守正。
母はごく平凡な主婦で、父は消防士で公務員らしい真面目な人間でした。
3歳ぐらいまで、その病院の近所のアパートに住んでいました。
その頃の記憶はほとんど残っていません。
ただ、両親にとても大事に育てられたという感覚だけは覚えています。

母によれば、父は、跡継ぎが誕生したことを大変喜んでいたそうです。
夜勤明けで疲れていたと思いますが、頻繁に遊びに連れて行ってくれました。
近所に大きな公園があって、父とよく遊びました。
と言っても、僕が一人で駆けずり回っているだけでした。

他に覚えているのは、スーパーのユニーです。
どういうわけか、よく迷子になり、従業員の方に、泣きながら両親を呼び出してもらいました。
実は、あることで、子供ながらに従業員に不信を抱いていました。
迷子になった時は不安で不安で、それどころではありませんでしたけど。
何に不信を感じたかというと、僕を女の子だと思い込むことです。
毎回必ず、「お嬢ちゃん、お名前は?」と聞かれるのです。

このことは何年もずっと謎でした。
ある時、当時の写真を見て一瞬にしてわかりました。
なんと、幼少時は女装していたのです。
母に聞くと、本当は女の子が欲しかったというのです。
そのため、幼稚園に入園させるまでは、女の子の服を着せていたと。
現在では想像できませんが、当時は女の子でも通用するような、かわいい顔をしていました。

因みに、僕の顔は父にも母にも似ていません。
その話をすると、友達に「橋の下じゃないか」とからかわれることもありました。
赤ちゃんの時に拾われたのではないかと。
でも、血の繋がった親子であることは疑ったことがありません。
親子の絆はそのようなものです。

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