この境界線またぐべからず
ずいぶん前になりますが、あるご住職からこんな話を聴きました。
若い頃、修行時代のお話です。
地面に線を引いて、
「この境界線を越えないで、向こう側へ行くにはどうしたら良いか?」
という問題を出されたそうです。
正解の手掛かりとして、一休さんのとんち話「このはしわたるべからず」を連想された方もいると思います。
一休さんは、端ではなく、橋の真ん中を歩いて渡ったという話でしたね。
でも、出題の意図は「境界線でない所を遠回りして歩けばいい」みたいな話ではなかったようです。
ご住職の出された答は、「ただ普通に歩いて行く」だったそうです。
その話を聴いた瞬間、茶道の最初の師匠、松下宗厚先生を思い出しました。
厚先生には俳句の趣味があり、ご自作の中で特に愛された句がありました。
「結界の 猫飛び越える 石蕗の花」
たしか墓地での出来事だったでしょうか、
結界として植えてあるツワブキ(ツワ)を、猫が軽々と飛び越えてしまった様子を詠んだ句と仰っていました。
厚先生は、胃癌で胃を切ってから、晩年ずっと闘病が続きました。
でも、思い方ひとつで、病気を乗り越えて克服できる。
そう信じて、ご自身を猫に重ねた句ではなかったかと、僕は解釈しています。
話を禅問答に戻しますが、
境界線があると思えば、ある。
ないと思えば、ない。
境界線と思わなければ、境界も結界も無いわけです。
僕はこの禅問答と厚先生の句が好きで、何かの度に思い出します。
今、新型コロナウイルスが世界中で問題になっています。
終息しても、宇宙の流れに気づけば、今後も多難が予想されます。
しかし、思い方ひとつで、別の世界へ行くことは可能です。
〈石蕗の花〉を越えて。